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原子雲の下に生きて : 長崎の子供らの手記

永井隆
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作品情報

あらすじ

※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。

長崎の原子雲の下にあって生き残ったわずかの子どもたちが、どんな目に遭い、何を感じたかを残すべきだとの要望に応えて、永井隆が募り、長崎市立山里国民学校の校区内で命をつないだ子どもたちの中から37名と、1名の教官が綴った手記集。
「原子爆弾はひどかとバイ。痛かとバイ。もう、やめまっせ!――」
戦争はいやだの言葉が、子どもたちの切実な叫びとなってこだまする。
後日談だが編者の永井博士は、本書の印税を原稿枚数に応じて子どもたちに分け、そして言った。
「お友だちの冥福を祈るために、記念碑を建てよう」
子どもたちは印税の中から少しずつを差し出し、残りの大半を博士が出して運動場に建てられた碑は、碑銘もない清楚なもので、傍らの石柱の表に「平和を」、裏に「あの子らの碑」とだけ刻まれている。

作品詳細情報

タイトル:
原子雲の下に生きて : 長崎の子供らの手記
ジャンル:
心理・思想・歴史宗教宗教・キリスト教
著者:
永井隆
出版社:
サンパウロ
掲載誌:
ファイルサイズ:
23.5MB
配信方式:
ストリーミング、ダウンロード

作品レビュー

[ 2010-3-13 ]

(2008.08.20読了)
長崎市に原爆が投下された1945年8月9日、爆心地から700メートルの山里国民学校の校区内で、この学校の児童1300人のうち生き残ったのは、200名。
このときから4年後、生き残った「この子供らが、どんな目にあい、どんな風に感じたか、を知りたいとの、世の人々の望みに答えるために、手記を書いてもらうことにした。」
1949年に山里小学校と中学校に在学していた子供らに手記を募集し書いてもらったということなので、被爆当時4歳の子供から12歳までの37名の作品が収められています。
読みやすく、意味が通じる文章になっていますので、教官の手が入っているものと思われます。初版は、1949年8月に講談社から出版されました。

原爆投下の際に、外にいた人はほとんど即死か、被爆から数日以内に死亡していますので、生き残ったのは、疎開していたとか、防空壕に入っていたとか、家の中にいて爆風で倒壊した家の下敷きになったが自力で這い出せたとか、近所の人、親・兄弟に助け出されたという子供たちです。
家は爆風で倒壊し、爆心に近いところは、燃えてしまったわけですから、寝るところも食べるもの、飲むもの全てなくなったわけですので、どうしてすごしたのだろうという疑問があったのですが、2・3日は、飲まず食わずで過ごしたようです。夜は防空壕で寝た人、外で過ごすしかなかった人、等です。
それから先は、近くの村々からの炊き出し等で、しのぎ、父親が生き延びていれば、簡単な小屋を立てて雨露をしのぎ、父親・母親等がいなければ、近隣の親戚のうちに身を寄せて生き延びたようです。
同じような記述が多くありますが、原爆を投下されたとき、そこにどのようなことが起こったのか、わかります。

●運動場で(14頁)
たくさんの子供が、大きな声を出して、運動場いっぱいに遊びまわっていた。
爆音を僕は聞きつけた。
僕は、おばあさんの手を捕まえて、防空壕の方へ走った。
僕は、真っ先に、壕の一番奥へ飛び込んだ。
もうそのとき、ピカッ―と光ってしまった。
しばらくして、僕が防空壕から外を、のぞいてみたら、運動場一面に、人間がまいてあるみたいだった。
運動場の土が見えないくらい倒れていた。大抵は死んでしまって、動かなかった。
学校の周りの町は、みんな燃えていた。
兄さんも、妹たちも、みんな防空壕に走りこむのが遅かったので、やけどをして泣いていた。
30分も経ってから、お母さんがようやくやってきた。血だらけだった。
お父さんは、待てども、待てども、現れなかった。
妹はあくる日に死んだ。
お母さんもそのあくる日に死んでしまった。
それから、兄さんが死んだ。僕も死ぬと思った。
けれども、僕とおばあさんは、とうとう助かった。
●疎開先から(73頁)
私は、ずっと田舎のほうへ疎開していた。
(原爆投下された)長崎の空は、夜通し赤かった。
あくる日、私たちは、姉さんを探しに浦上へ出かけた。
死骸、足元に死骸、右にも死骸、左を向けば死骸
焼け跡の地面は、フライパンのように熱かった。飛び上がるようにして、歩きながら、私たちは、そこらに転がっている人間の顔を一人残らず、のぞいてまわった。
しかし、とうとう姉さんは見つからなかった。
●田んぼで(106頁)
両手に土を持って木下に立っていたとき、ピカッと光った。
うちに帰ろうとすると、近くでパチパチ音がする。見ると、家がパッと燃え上がるところだった。
それで、大急ぎで、帰ろうとすると、僕の体から、煙がどんどん出始めた。見ると、シャツが破れて、そのすそが、火を出して燃えるところであった。びっくりして、もみ消そうと思い、シャツを握ったが、どうしたことか手に力が入らない。見ると、僕の手はすっかり焼け、皮がなくなって、赤い肉が出ていた。
今も、大きなケロイドが残っている。
(2008年8月23日・記)

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