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ドラッカーと論語

安冨歩
(8)

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作品情報

あらすじ

長きにわたって読み継がれる
「経営者の二大経典」が一挙にわかる画期的書!

孔子の『論語』とドラッカーの『マネジメント』。 両者が生きた時代はまったく異なるが、『論語』と『マネジメント』で語られる「組織」、そして人間の生き方という部分では、本質的な共鳴を見せている。
 難解な『マネジメント』を読み解くため、『論語』をサブテキストとして用いる。一見すると奇をてらったような手法に見えるが、実はドラッカーを理解する「近道」だと私は考えている。
 東西の2人の知の巨人が後世に生きる我々になにを伝えたかったのか。読者の皆様がそれを理解していく上で、本書がその一助になれば幸いである。(序章より)

【主な内容】
はじめに ドラッカーと孔子の対話
 序章 もしドラッカーが『もしドラ』を読んだら

第1部 ドラッカー思想の本質
 1章 マネジメント<徳治>
 2章 マーケティング<知己>
 3章 イノベーション<学習>

第2部 ドラッカー思想の歴史的意義
 4章 全体主義<組織の罠> 

第3部 ドラッカー思想の現代的意義
 5章 情報<コンピューターの衝撃>
 6章 ポスト資本主義<組織解体の時代の組織>
 終章 未来への道

作品詳細情報

タイトル:
ドラッカーと論語
ジャンル:
ビジネス・経済経営経営・経営学
著者:
安冨歩
出版社:
東洋経済新報社
掲載誌:
ファイルサイズ:
0.9MB
配信方式:
ストリーミング、ダウンロード

作品レビュー

[ 2017-4-30 ]

投稿日 2014-11-09 10:11:00
論語を通じてドラッカーを解釈する本。

といっても、それほど驚くことではないかもしれない。
なぜなら、日本の資本主義の創設者(?)の渋沢栄一は、すでに経営を論語を通じて、論じていたわけだし、日本のビジネスマンの必読書として、「論語」をわきにおいて仕事をしている人も結構いるんじゃないかな?(私もそう)

が、安富さんが主張する「論語」の読みは、「フィードバックを伴う学習のプロセス」ということ。これはかなりの驚きで、これまで読んできた「論語」はなんだったんだ!と目から鱗が落ちまくりなんです。

これって、もうセンゲの「学習する組織」そのものだよね。
(センゲも、南懐瑾を通じて、多分「論語」は読んでいて、影響を受けていると思われる)

ということで、その安富さんが、ドラッカーをどう読みか?というのは、かなり注目。

安富さんが「論語」をこう読むという部分は、すでに他の本で知っていたのだけど、それにもとづくとドラッカーがこうなってしまうんだ、というのは、かなり納得性が高いです。
内容は、ぜひ読んでください。

で、なるほどと思ったのは、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」を「もし、ドラッカーが、「もし高校・・・を読んだら』を読んだら」というところ。ここの部分は、たんに「つかみ」じゃなくて、かなりこの本のエッセンスに近いところにあるんですね。

つまり、マネージャーがもつべき根本的な資質としての「真摯さ」という翻訳の問題。
(「もしドラ」では、ここを読んで、主人公の女子高生は嗚咽する)

安富さんによると、原語は、”Integrity of character"で、直訳すれば、「人格の統合」つまり一個人として一貫性があるという意味のはず、「真摯さ」というのは、誤訳に近いのではないか?ちなみに「マネジメント」の最初の翻訳本では、「人間としての誠実さ」となっている。こうした原語により近い解釈があるにもかかわらず、わざわざ「真摯さ」という翻訳にしてしまったのは、確信犯ではないか。

つまり、日本の社会では、「人格の統合」、「学習する組織」用語では「自己マスタリー」、「言行一致」、西水美恵子さん用語では、単純に「本気」、というものが、機能しにくい。多分、それをやるとその人はいじめられてつぶされるので、日本にドラッカーを根付かせるために、上田惇生さんが「真摯さ」としたのではないか、という問題提起なんですね。

本当に、そのとおりだと思いました。
今の日本で、みんなが、「人生の目的」と「仕事の目的」の統合に進んだら、きっと会社的、社会的に大混乱なんでしょうね。(でも、私は、そうしたことが当たり前になる組織、社会になればいいと願っているんだけど)

でも、著者は、「真摯なドラッカー」は、賞味期限切れだと指摘します。
と同時に、現在でも、日本では、「人格の統合」は機能しないのではないか、とします。

というところで出てくるのが、「論語」を通じて、ドラッカーを読むという戦略だったんですね。西洋的な「人格の統合」という概念は、東洋の「論語」が本当は言いたかったことなのだ、というルートから「人格の統合」の必要性を訴えて行こうという戦略なんですね。

あー、素晴らしいな!

この発想って、渋沢栄一が、日本に資本主義を導入するときに、そのベースとして必要となる倫理性を論語に求めたのと同じ発想、同じ戦略なんですね。(西洋では、「プロテスタンティズム」の倫理性が資本主義の精神なのかな?)

いやいや、ドラッカーって、スゴいなと思いつつ、なんだかストイックな感じが今ひとつ好きになれなかったんですけど、「人格の統合」であったり、安富流の「論語」であるならば、大賛成ですよ。

上田惇生さんの訳でないドラッカーを読まなきゃ、という気分になりました。

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